REPORT
レポート
6月のみずあび「水上ビル最期の20年間と、その後の豊橋を考える会議 vol.1」レポート
豊橋駅南側にある通称・水上ビルで2024年6月12日(水)夜、6月のみずあび「水上ビル最期の20年間と、その後の豊橋を考える会議 vol.1」が行われました。講師となった建築家で日本各地の芸術祭に関わる山岸綾さんは、時間をかけて徐々に水上ビル全体をアートセンターにしていく構想を発表しました。
水上ビルは、東西800㍍にわたり連なるコンクリートのビル群。コンクリート建築は80年を経過するとトラブルが起こりやすくなるといわれていることから、60年前に建てられた水上ビルに残された時間を20年と仮定して話が進められました。
まずは、会場となった大豊商店街の「みずのうえ文化センター」に集まった約40人の参加者を前に、イベントを主催したみずのうえ文化センター実行委員会長で水上ビルに暮らす山田晋平さんがあいさつ。「今、水上ビルには面白い人たちが集まっていて、豊橋で一番おもしろいエリアだと思っています。それがなくなってしまった20年後の豊橋を想像すると、おもしろいまちに見えるのか、これからも住み続けたいまちだと思えるのでしょうか。なくなる5年前に考え始めても多分たいしたことはできないけれど、20年かければ、法律を変えることも大きなエリアを買い取って何かすることも、行政と結託して何かすることだって可能だと思います。この20年をどう過ごしていくべきなのか、考えていく会議をスタートします」と話しました。
講師の山岸さんは、「あいちトリエンナーレ2016」で豊橋会場のアーキテクトとしてメイン会場の1つとなった水上ビルも担当しました。アーキテクトとは、作品を展示できるように空間を作る仕事です。一級建築士で中部大学工学部建築学科准教授でもある山岸さんは、博士論文「離散空間としての芸術祭とその空間モデルの実践的研究」をベースに、今後の水上ビルの活用方法の試案を語りました。
まずは、建築側から分析した芸術祭や芸術祭の空間論などを説明。国内の芸術祭を、「都市型と地域型」という横軸と、「アート・文化活動系と地域・まちづくり系」「作品継続の有・無」等の縦軸を掛け合わせて分類しました。続いて、作品空間について世代ごとで整理。美術館には年代により、ルーブル美術館のような陳列型や余分な装飾がないホワイトキューブやブラックキューブ型などがあることを紹介しました。また、現在の芸術祭には美術館にはなかった「展示」以外の「機能」が合わさり、「鑑賞」以外の「行為」が多様に含まれた作品空間が生まれていると述べました。
今回のメインである水上ビルについて。現在は1階のテナントスペースはほとんど埋まっている一方で、2~4階の住居スペースは住民の高齢化が進み、空き部屋も出てきていることに注目。そこに段階的にレジデンスや展示スペースなどの空間タイプを増やしていく計画を提示しました。
山岸さんは、「水上ビルの面白いところは板状に続いているところ。訪れる皆さんは一体のものとして認識してくれます。基本的に同一平面が繰り返されていて、同じような空間ばかりでつまらないと感じるかもしれませんが、リノベーションして色が変わる、隣との壁を壊すなどが起こると、その差異が逆に際立ったりします」と水上ビルが持つ個性について語りました。
アートセンターにしていくにあたり、通常のテナントや住居と共存する形で、空き部屋にさまざまな用途や機能を分散して持たせていくことを提案。水上ビル周辺にある公共施設である「穂の国とよはし芸術劇場プラット」「まちなか図書館」「こども未来館ここにこ」など、既に水上ビルにある大豊商店街と連携が取れている行政施設の小さな出張所や、プラットや豊橋美術博物館、ここにこの什器をリサイクルする場所、さらには、住みながらリノベーションしていくアーティスト・レジデンスのような役割を持つスペースを作る構想を提示しました。
また、卸問屋が軒を連ねてきた水上ビルの歴史を踏まえ、現在営業中の卸問屋に商店でありながらミュージアムとしての役割を持たせたり、文化財としての価値を高めるためにアーカイブとして、改装していない本来の姿が全部(1階から4階まで)見られるところを残したりするアイデアも出しました。山岸さんは「展示空間にする際には、博物館的に絶対きれいに保存するのではなく、使い倒していくような保存の仕方をしていきたい」と話しました。
この日のイベントは「離散性」をキーワードに話を進めていきました。「離散性」とは、「離合集散についてその最大の多様性を示す理念的な概念である」と山岸さんの師である建築家・原広司さんは説明しています。また山岸さんは、「離散性があるというのは、バラバラで取り出せ、いろいろな組み合わせができるということ」と説明します。
その上で、「役割が違う空間自体がバラバラとあれば、その都度その都度で組み合わせていろいろなことに応答できる。つまり展示だけじゃない機能や多様な行為を受け入れるみたいなところがあって、それが最大の多様性を持って離合集散する。その離散っていうことが水上ビルでは可能になるんじゃないかと考えています」と締め括りました。
後半には、集まった参加者と共に「水上ビルを文化財として残せないのか」などを話し合いました。山田さんは「本当にアートセンターが20年後にできたら水上ビルをなくそうと思う人もいなくなるはず。我々は今から20年かけて、水上ビルを壊しちゃいけないものだという価値を作り上げていく必要がある。山岸さんのお話を聞いて、なんかすごいいい夢を見たいなという気持ちになりました」と力を込めました。